コラムだいぶさぼってしまいました。
久しぶりの投稿です。
今日区役所に行く用がありそこで気になった言葉を題にしました。
「和顔愛語」仏教用語で、穏やかな顔で相手を思った優しい言葉かけという意味だったと思います。
正直言って区役所の雰囲気とはかけ離れた言葉が職員さんたちと一般の方の目に入る場所に掛け軸でかけてありました。
応対をその言葉のようにがその意味なのだと思いますがとても違和感がありました。
なぜなら和顔愛語を自然にできる方はそうそういるとは思えないからです。
誤解があるといけないので区役所職員さんができないということじゃないです。
私も仕事柄和顔愛語は心がけたいと努力しますが、思いっきり普通の修行もできていない人間なので、
辛いとき、疲れたとき、努力が無駄になるとき、気持ちを抑えすぎたとき等々日々起こる出来事に気持ちが波立ってばかりいるからです。
気持ち(心が)満たされている人が自然にできる行動。「和顔愛語」
修行に行くことはできませんが、穏やかな自分でいること=相手にも優しくできる。
できるように努力努力。