「強くなれ」と言われて強くするのは身体なのか?心なのか?
私が子供の頃は今のように「心」の大切さを表現することが当たり前ではなかったからか、たぶん身体を強くと受け取っていたと思いますが、今なら確実に「心」を強くの意味で言葉にしていると捉えます。
今日書きたいことは、「強くなれ」とよく人に言う人に、言うなら言いっぱなしはやめて欲しいと言うこと
その言葉をかける人はたぶん自分の心が強い、もしくは強くなる意味や方法を知っている、強くなれる環境に育った、弱った時に頼る人がいる、場所があるそんな人達が多いのだと思います。(あくまでも個人の感覚)
私自身かなりの回数「強くなれ」と言われてきました(心を扱うプロの方からも)。そして笑われそうですがほんの数年前まで何を強くするのかを解っておらず、
小さなころから親に「身体が弱い」と言われていたので、強くなるのは身体と勝手に思い込み、努力の方向性が全く違う方へ。
結局強くする必要のある心は育たず、育っていない心を隠すいびつな方法だけドンドン身に付けてきました。
もっと悲しいのは、人を見る目も養えないこと。成長させてくれるような仲間を見つけることも下手。本当の友達を作ることさえ下手。何より自分には価値があると言う大切なことを教えてもらう、知ることが出来ないまま大人になって、結果自己肯定感の低い弱い大人の完成です。
強くなれとよく言われる人なら理解してくれると思いますが、まぁ生きづらいこと。コミュニケーションが下手で、人との距離感を取るのも下手。だから学校生活、職場でも自分から悩みを作りがちで長続きせず残念な結果は数知れず。大切なものを手にしていることさえ見えなかったりします。
「強くなれ」と言った人の誰か1人でも「心」を強くする必要性、方法を伝えてくれたら・・・タラればはいけませんね。
でも、私と同じ様に「強くなれ」と言われていても何をどう強くすればいいのかわからない人はいると思うのです。
もしそう言うのなら、強くなったその先に見える世界を話してあげてください。今見ている世界は小さな世界で、もっともっといろいろな世界があるということ。強くなることで今感じている気持ちに変化があるかもしれないこと。失敗や挫折からも学びがあること。努力の仕方。等々。
健康で強い心の人にとっては想像もつかないことかもしれません。
それでも、今もたくさん心を強くできないまま大人の姿をして人知れず悩んでいる人がいる事。弱さを何かで必死で隠している人。
折れない心を作るのは1人では難しい。誰かのサポートが必要です。時に厳しい助言も伝える必要があると思いますが、そんな時もなぜそんな厳しい事を言うのか愛を込めて伝えてあげてください。
相手を思って伝える「強くなれ」で折れない心を持つ人が増えたら嬉しいなと思います。
心が強くなると身体も強くなる可能性は無限大かもしれません。